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頼久寺庭園


頼久寺庭園
【らいきゅうじていえん】

小堀遠州は天正7年(1579)に近江国小堀村に生まれ、備中国奉行(1604〜1617)を務めました。彼は江戸時代前期の文化人で、茶道「遠州流」の創始者であり、また二条城・仙 洞御所など数々の作事奉行を歴任しました。備中松山においても城下町の整備を進め、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つである頼久寺(らいきゅうじ)の庭園をつくりました。また江戸時代の武家屋敷町が、岡山県指定の「石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村」として保存されています。山田方谷は文化2年(1805)に現高梁市中井町の農商家に生まれ、幕末の老中として活躍した備中松山藩主板倉勝静の顧問として活躍しました。特に巨額の債務を抱えた藩財政の 建て直しに大きな業績を残し、長州藩の久坂玄瑞や越後長岡藩の河井継之助などにも影響 を与えました。明治維新後は閑谷学校の督学になり、教育界に大きな影響を与えました。 [参考文献]『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社 (R)

頼久寺庭園

<営業日時>
9:00開館17:00閉館
小堀遠州が築庭した名高い枯山水の庭園、サツキの咲き誇る時期は特に美しい。
年中無休

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0866−22−3516