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中津井陣屋


中津井陣屋

松山藩六万石の城主石川総慶は一七四四(延享元)年伊勢の亀山(三重県)に移封となった。領地として、伊勢国内で五万石、残る一万石は備中の上房・阿賀両郡に亀山藩の飛地としてそのまま残された。この「備中国御残領」の村々を治めるために置かれたのが、阿賀郡下中津井の中津井陣屋である。(陣屋の跡地は現在農協中津井支所となっている。)中津井村は松山城下と美作の落合・久世を結ぶ街道の要衡で、江戸初期以来町並が発達し栄えていた。この町場では、江戸前期頃から年に三度の市が立っていた。

すなわち七月五日が「莫塵市」十二月十五日が師走の「鯛市」同月二十五日が「鱒市」で、鰤市がもっともにぎわっていたという。茣蓙市も鯛市も太平洋戦争後廃れてしまったが鰤市だけは、場所が下中津井から下皆部に移りはしたものの今も続いている。また、毎月一日.十日.二十日の三回、たばこ市が開かれ、隔月の一日には牛馬売買の引き渡し市が開かれるなど石川氏の中津井陣屋としてにぎわっていた。

<出典:高梁歴史読本高梁青年会議所発行>

索引【な】分類[松山藩の歴史]登録日-2003/10/2219:06