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水戸黄門


水戸黄門
[高梁ゆかりの人物]

市内民間に水戸黄門についての言い伝えがあるが、この水戸黄門の出て来る「松山騒動」の火元は、昔の五銭の豆小説本「立川文庫」にあるらしい。

その筋は水戸黄門が泉州堺で、備中松山藩の劔術指南役を仇に持つ男と出会った。黄門がこの仇討の男に同情し、助さん、格さんらと松山藩に乗り込んだ。ところが劔術指南役をかばう者が、黄門を毒殺しようとして月見の宴の吸い物に毒をしかけたが、黄門が印籠のサンゴ珠を吸い物に入れ、そのサンゴ珠の割れたのを見て毒殺の企てを見破り、劔術指南役やそれをかばう者が、切腹するはめになったというものである。

この筋を芝居にしたのが「松山城」という外題の芝居で、南町三区にあった高楽座という劇場で上演した。ところが不思議なことに、それを上演した大正六年と昭和七年の二度失火でこの劇場が全焼した。このように二度とも松山騒動を上演して焼けたので、いろいろ噂を生みそれが水戸黄門の伝説となって語りつがれているのである。

索引【み】分類[伝説]登録日-2003/09/1514:19