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米川文子



[高梁ゆかりの人物] [高梁偉人伝]

(よねかわふみこ)

FumikoYonekawa
(1894〜1995)名誉市民

間之町出身。昭和41年筝曲の最高芸術技能保持者として人間国宝に指定されました。同年名誉市民に推たい。


米川文子先生顕彰碑


米川文子先生は明治27年(1894)6月高梁市間之町に生まれ、幼少より箏曲・地唄・三絃を修業、大正6年独立して東京で箏三絃教授所を開設。多くの弟子育成と幾多の名曲を世に送る。
昭和35年・36年・38年文部省芸術奨励賞。昭和39年同芸術祭賞。昭和4O年紫授褒賞をそれぞれ受賞。昭和41年には箏曲の最高芸術技能保持者として国の重要無形文化、(人間国宝)指定を受く。
先生は箏曲生田流家元として日本三曲協会々長をはじめ数々の要職を歴任、音曲芸、三の発展振興に尽力さる。
高梁市は昭和41年5月先生の斯道における数々のご功績と郷里の教育文化振興ヘご貢献により名誉市民に推戴。
茲に顕彰碑を建立し、先生の偉大な業績と名誉をたたえる。
昭和52年5月
高梁市川上一夫