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六名


六名
【ろくみょう】
[地名の由来]

巨瀬町を二万五千分の一の地形図(図幅「川面 市場」)でみると秋葉山(五九一メー トル)の南東のすそ に「六名 ろくみょう 」という地名があります。巨瀬町の西 方の高原地帯に位置していて、茶屋、野 の 前ま え 、仲 なか 畝う ね 、家親 いえ ちか などの集落が点在しています。 「六名」は、平安時代には賀 か 陽や (夜)郡巨勢郷 に属していました(「和名抄」)。現在の巨瀬町 一帯に当たる地域と考えられています。中世の 巨勢郷(寛喜三年頃=一二三一)は、巨勢荘 こせのしょうとい う荘園だったようで、室町時代には、仁和寺領 や相国寺領、そして、細川氏の所有などの記録 が残っていて(「講座、日本荘園史」)、古い歴 史を彷彿させる地域なのであります。そして、 江戸時代の初めの「正保郷帳」には、古瀬八川 村、古瀬両名村、古瀬片岡村などとともに、「古 瀬六名村」が石高二三四石余りと書かれていま す。毛利の支配から慶長五年(一六〇〇)幕府領、 そして、元和三年(一六一七)から松山藩領とな り、明治八年(一八七五)まで「六名村」でした。 江戸時代後半の「六名村」は「東西二一町、南 北一七町、村高四四六石余り」(「備中誌」)と 記録されています。 仲畝地区には、永徳元年(一三八一)焼失、翌 永徳二年再建といわれる高羽根 た か ば ね 八幡神社があり ます。延享二年(一七四五)銘の手水鉢と石は、 昔の面影をとどめています。また、家親には、福滝山山王院千柱寺(真言 宗)があります。聖徳太子により建立され、そ の後、弘仁年中(八一〇.八二四)に弘法大師が 中興したと伝えられ、本堂は、文政一〇年(一 八二七)再建されたもので、付近に石仏や池な どが残っています。野前には、元亨三年(一三 二三)創建といわれる増福寺(浄土真宗)があり ます。 「六名」という地名の由来は、明らかではな いのですが、「日本地名大辞典」には、「地内 にほろろ岩、えぼし岩、たて岩、うす岩、ろっ くう岩、たいこ岩の六つの妙石があったことに よる」と書いています。もう一つの説は、荘園 にみられる地名の名残りだという説でありま す。古く巨勢荘には、二つの「名 みょう 」のつく村が 残っていました。「両名」と「六名」でありま す。古代から中世にかけての荘園は、年貢や公 事を徴収するための支配の単位であるいくつか の「名」で構成されていました。この「名」は、 それぞれ名田 みょうでん という田地を持っていました。 この地方では、十数町.数十町の「名」 が多かったと いわれていま すが、「六名」 という地名は 荘園時代の面 影を残す歴史 地名なのかも 知れません。 (広報