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木野山


木野山
[地名の由来]

木野山」は、津川町今津の北に位置する山の山名で、吉備高原の山々が北の祇園山秋葉山からうねって南の高梁川と支流の有漢川の合流点に向かって落ち込んでいる標高五一七・八mの三角点をもつ山です。頂上には、平坦面があって西側は、竹林、東側には、木野山神社(奥宮)が鎮座まします神域で、かなり広い境内になっています。

木野山」は、北の祇園山とならんで信仰の山として方方からお参りする人が絶えなかったといわれ今でも里宮の石段下を左に取って行くと参道の入口に「木野山奥宮十五丁」の丁塚が立っていて南側正面からの表参道が中国自然歩道の一つとなって残っています。
木野山神社は、社伝によると天暦てんりゃく九年(九五五)伊予国越智郡宮浦村(現・大三島町)にあった大山祇神社の分霊を勧請したといわれ、祭神には出雲系の神である大山おおやま祇ずみ命(尊)、豊玉彦とよたまひこ命、大己貴おおなむち命(大国主命)の三柱を祭っているといわれ、江戸時代には木野山権ごん現げんと呼ばれていました。

もともとは「木野山」の尊信の厚い山の神であったと思われますが、今では、末社(神使)にタカオカミ.....の神とクラオカミ.....の神を祭っていて「オカミ」が「狼」になったのか、神使としての狼の霊威が恐れ尊ばれ「狼さま」としてあがめられて、社殿の前には今でも塩が供えられていまこのように、主神に従いその先触れとなって働く神霊や動物などの小さな神を祭る信仰は「ミサキ信仰」といわれ、高倉の御峰神社などとともに興味深い神社の一つであります。

木野山神社は、古くから「木野山さま」として親しまれ、五穀豊穣、家内安全、精神障害や流行病はやりやまい退散、そして、牛馬の守護神・武神として信仰されました。歴代松山藩主も崇敬したといわれ、板倉勝静は文久二年(一八六二)長州戦争の時に武運長久を祈願しています。現在でも分霊を勧請して祭る「木野山さま」が各地に見られ、木野山神社の信仰の広がりを物語っています。

木野山」の頂上にある神社の本殿は千鳥破は風ふの向こう拝はいや組くみ勾こう欄らんを付けた立派なもので、静かにたたずむ社殿が多くの参詣者でにぎわった往時をしのばせてくれます。「木野山」という地名は、木野山神社が鎮座まします山として、神社の所在を表しているには違いないのですが、「木野山」という地名が先に在って神社名の「木野山」があとからついたのではないかとも考えられます。

それは、もともと山の名を『「城しろの山」と呼んでいた』という言い伝えが残っているところから考えると「城きの山」から変化した「木野山」であろうと思われるからです。「キ」は、木.・紀.・城.などが佳字として地名によく使われます。地名になっている漢字の意味にとらわれると間違いやすくなりがちなのです。(広報高梁

索引【き】 分類[地名の由来]