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木口小平



[高梁ゆかりの人物] [高梁偉人伝]


戦前の教科書に出てくる備中出身のヒーローの中に木口小平がいる。
木口小平は大正から昭和初期のころより文部省低学年修身の教本に日清戦争時の英雄として紹介されていた。小平は明治5年、成羽村新山に生まれ、明治25年には広島歩兵連隊に入隊、歩兵第21連隊第12中隊所属(二等卒)となり部隊のラッパの吹き手として修練を重ねた。

値維持27年に日清戦争が勃発、小平も又戦地へ赴いた。当時は部隊の突撃時は突撃ラッパを吹きながら戦うというスタイルが普通で(のちに突撃が敵にばれるという理由でこの習慣は無くなりました)、中でも小平の部隊では「木口がラッパを吹くと必ず勝つ」というジンクスがあったと言いう。

6月二28日、小平らの部隊は中国は仁川に上陸。部隊は多くの戦死者を出しながらも突撃を重ねていた。戦の最中、小平は一刻も休まずにラッパを吹き続ける。
と、ある瞬間ラッパが止んだ。隊長は「ラッパはどうした!」と大声で怒鳴る。このとき小平は敵の銃弾を受け倒れていた、しかし隊長の声にこたえ銃を杖にして起きあがり再びラッパを吹き続けた。

部隊は突撃を続け辛くもこの戦いに勝利した、そのときすでに小平の姿が無く、不審に思った隊長が引き返し小平を捜した。そして、隊長らはッパを吹いている姿勢のまま息絶えていた小平を発見した。

享年23歳

その後、木口小平の話は戦中の英談として伝えられ、当時の人々に軍神として祀られた。
国定修身教科書にはこのように紹介されている

キグチコヘイハ イサマシク イクサニデマシタ
テキノ タマニ アタリマシタガ
シンデモ ラッパヲクチカラ ハナシマセンデシタ

余談として、ラッパのマークの正露丸で有名なあの正露丸のラッパのマークの由来は、この木口小平の話から来ているという。