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備中神楽の歴史


備中神楽の歴史

古くは神官による、「榊舞」・「猿田彦の舞」・「剣舞」・「布舞」・「綱舞」などの神事の舞が中心であり、一年の五穀豊穣と家内安全とを祈るものであった。江戸時代後期に、西林国橋により神代神楽の部分が加えられ、現在の芸能性の高い、備中神楽の基礎が確立され、神楽人夫によって演じられるようになった。福地村(高梁市)に生まれた国橋は、国学者として京都に学んだのち、上日名村(成羽町)に住み、『古事記」や『日本書紀」の神話に題材を求め、「天の岩戸開き」・「大国・王命の国譲り」・「素菱鳴尊の大蛇退治」などの、神代神楽を考案した。備中神楽というと、この部分を思い出す人も多いと思われる。成羽町日名には国橋の墓碑があり、日名小学校前に新たな顕彰碑も建てられた。

<出典:高梁歴史読本高梁青年会議所発行>

索引【び】分類[備中神楽]登録日-2003/10/2218:59