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備中松山城絵図


備中松山城絵図

元禄14年(1701)備中松山を支配した安藤氏は、幕府の命を受けて、備中国絵図を作成、この国絵図には郡の境や村の石高などは記載されましたが、大名などの領地の境は記人されませんでした。そこで、安藤氏は支配した領地を明確に示すこの領絵図を作成したと思われます。

領地内の村は国絵図の様式と同じように楕円で示し、中に村名、石高を記載。また、領地外の部分は郡名を残すのみで余白のまま何も記入しないことで領地を明確に示しています。国絵図では位置だけ示されている備中松山城も建物としこ描かれこいます。この絵図は安藤氏の転封後も備中松山城に残され、石川氏、板倉氏に受け継がれました。

石高の変化があるたびに、付箋を貼り訂正され、領地と石高の変遷が村単位で知ることができます。板倉氏ゆかりの八重がき神社へ残され、多くの絵図と共に高梁市へ寄贈されました。縦302センチ横205センチ

高梁市蔵〕