トップ 差分 一覧 ソース 検索 ヘルプ RSS ログイン

八重籬神社


八重籬神社

【分類】神社仏閣

【場所】高梁市内山下町

【記事】
寛政五年(一七九三年)、備中松山藩主板倉勝政公の創建で、祭神は板倉氏始祖勝重公、二代重宗公を祀る板倉氏の氏神である。勝重公、重宗公は京都所司代二代三代を五十余年にわたり勤めた。

幕末の藩主は板倉勝静公で、幕府老中であったため、鳥羽伏見の戦に敗れてのち朝敵となり、江戸、東北、北海遺と藩主のみ転戦した。高梁の地にあった藩士達は、大阪城での藩主護衛隊長熊田恰一人の責として、慶応四年(一八六八年)正月二二日、自刃し兵火を免れる。明治二年、摂社として本殿右奥に祀られた。

(情報元:城下町備中高梁神社寺院めぐり高梁観光協会発行)

--------------------------------------------------------------------------------
備中松山藩主板倉勝政の創建で、祭神に板倉家始祖勝重・2代目重宗を祀る板倉氏の氏神である。社宝として備中松山城宝剣三振や藤の胴の太鼓、板倉勝重座像がありいずれも市指定重要文化財となっている。

(情報元:高梁観光百選高梁観光協会発行)

索引【や】分類[神社・仏閣]登録日-2003/09/1213:10