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土居


土居
【どい】
[地名の由来]

今回は、歴史地名の中の「城や城下に関 する地名」の一つであります「土居」を取 り上げてみたいと思います。このシリーズ の第四回、第二十五回で取り上げた「内山 下」「御根小屋」などと同じ部類に属する 地名です。 「土居(土井)」という地名の意味は、 中世の領主・土豪・武士が防御のために堀 をめぐらし、土を盛り上げ土塁(土手)を 築いて、屋敷の周りを囲っていたところか ら、土塁のことをさして言いました。それ が転じて土豪の屋敷のことを言うようにも なりました。 市内にも各地に「土居」という地名や屋 号が見られます。例えば宇治町に見られる 本郷の赤木家の屋号とその付近の地名に残 る「土居」、そして、同町塩田の赤木家 (蔵元といわれる)の屋号とその付近の 「土井」(「土居」)地名、また、同町丸山付 近に屋号として残っている「上土井 かみ で い 」 「下土井 しも で い 」などであります。

中世に穴田郷 の新補地頭として信濃からやって来たとい われる赤木氏は、宇治の地を中心にして 「四家に分かれ、それぞれ分散して住んで いた」《本郷赤木家文書・天明3年(17 83)の『覚書』》らしく、この地域に残 るとりで跡や石仏群、宮座みや ざ 、そして塩田赤 木家に残った国宝「赤韋威大鎧」など、今 も地域に残る「土居(土井)」という地名 は、宇治の歴史の深さを計り知ることがで きます。 また、落合町阿部中組に残る「土居屋敷」 という地名の場所も、土豪の屋敷をほうふ つさせるもので、北側には、土塁の跡と思 われる場所が一部に残っています。この他、 川面町の大元八幡宮の近くにも「土居」と いう屋号や土地が残っています。 このように「土居(土井)」地名には、 中世からの土豪の館のあった場所として、 一族共同の神を祭り、半農半武の生活をし ていた領主や土豪が想像できるのでありま す。 (広報高梁