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大石内蔵助良雄


大石内蔵助良雄

松山城旧登山道の中ほどに「大石良雄腰掛岩」という石が道のそばにある。元禄六年十月六日藩主水谷勝美覆し、水谷家嗣無きをもってお家断絶、領地を召上げられた。+二月二+二日播州赤穂城主浅野内匠頭長矩に城請取り在番仰付けられた。

元禄七年二月二十一日大石内蔵助良雄は先発隊を率いて松山に到着、翌二十二日内匠頭長矩本隊を率いて松山に到着した。収城に関しては大石良雄と水谷家老鶴見内蔵助と会見して平隠裡に折衝を了え、二十三日午前中に上使監督の下に城引渡しは終った。内匠頭は二十四日大部隊を率い松山を出発した。大石以下小部隊は翌元禄八年八月六日まで一年七ヵ月間在番した。その間大石内蔵助良雄は城地を調査のため登城の際、休息のためこの岩に腰を掛けて休んでいたと伝えられている。

索引【お】 分類[伝説]