トップ 差分 一覧 ソース 検索 ヘルプ RSS ログイン

石川達三の勉強部屋


石川達三の勉強部屋

〔StudyoftheNovelist-Tatsuzo、shikawa〕
所在地高梁市新町

小説r蒼亡民」で第1回芥川賞(昭和10年)を受賞した石川達三は、秋田県で生まれたが、中学校教師であった父の転勤で、大正元年(1912)9月、岡山県上房郡高梁町へと移った。達三が小学校1年生のときのことである。
良い師や親切な友達に恵まれて、達三の小学校生活は楽しそうに見えたが、3年生のとき生涯の中で最大の不幸、優しい母親との死別という悲しい運命に会う。深い孤独感を味わった彼には、更にもう一つの悲しみが重なる。それは学業成績が最優秀であるのに級長になれなかったという、杜会の不正義であった。この二つの事件はその後、彼の文学を特徴づける原点となる。
達三が高梁で暮らしたのは中学3年生までで、旧高梁中学の3年生時代は岡山市へ転勤した父と別れ、新町の菊楽定太郎宅へ下宿した。彼の勉強部屋であった土蔵2階六畳の小座敷は、今もそのまま、ひっそりと残っている。