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石火矢町ふるさと村


石火矢町ふるさと村
【いしびやちょうふるさとむら】

白い土塀が250mにわたってつづく武家屋 敷通りが見られる石火矢町は県指定の ふるさと村。 当時の城を中心とした町並みが色濃く残る。 ◆詳細 昭和49年12月に指定された岡山県下 7カ所の「ふるさと村」の1つ。通りの両側 に土塀が続き、現在も武家屋敷の面影を 深くとどめる石火矢町と、紺屋川に沿って 桜と柳の並木が続く紺屋川美観地区の 2つの地域で構成されている。 (ハレハ)
紺屋川を渡った北側が、かつての武家屋敷街だ。小堀遠州作の庭園で知られる頼久寺や、白塗りの土壁に瓦屋根が続く石火矢(いしびや)町の家並みが見えてくる。かぎ型になったり、T字路で見通しのきかない道の造りは城下町特有のもの。電柱もなく、このままで時代劇のロケが行えそうだ。
町の一角にある武家屋敷館は、170年ほど前に建てられた中級武士の家。しっかりとした造りだが華美な装飾はなく、質素な暮らしぶりが感じられる。
武家屋敷街は城に近づくほど身分の高い家となり、内堀であった高下谷(こうげだに)川に突き当たって終わる。川向こうの県立高梁高校は、かつて城主の館があった御根小屋(おねごや)跡。江戸時代はここで政務を執り、「お城へ登る」といえば、御根小屋へ行くことであったという。 (R)