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進鴻渓顕彰碑


進鴻渓顕彰碑

進鴻渓は阿哲郡唐松(現新見市)に生まれ、13才で新見藩儒丸川松隠塾へ入門、18才のとき川面村藤井家の養子となり、ついで山田方谷の弟子となった。のち江戸の昌平校(徳川幕府直轄の学校)に学び、川面に帰って私塾を開いた。やがて板倉藩主に召されて藩士となり、藩校有終館の学頭、藩の役職などを歴任し}llたが、明治2年(1869)、役職を退き、川面に帰って子弟を教育した。

その後、赤穂で私塾を開き、なお堺師範学校で教鞭をとり、さらに栃木県師範学校のまねきに応じて赴任したが、病に罹って帰郷、明治17年(1884)11月死亡した。昭和63年6月の103回忌に・川面町の有志により・顕彰碑が建立された。

出典:高梁観光百選

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