トップ 差分 一覧 ソース 検索 ヘルプ RSS ログイン

秋葉山


秋葉山

[地名の由来]

秋葉山」という 地名はよく知られていて、各地に見ること ができます。 例えば、巨瀬中井・川面各町の境、旧 高梁町内では御前町の東側、落合町阿部な どに山名が残っています。中でも巨瀬・中 井・川面各町の境にそびえる「秋葉山」は、 山の北側(中井町側)が急しゅんで、南側が ややなだらかな標高591 トル メーの中生代の流 紋岩が基盤となった規模の大きな山で、頂 上付近には火之迦具土神 ほのかぐつちのかみ を祭神とする秋葉 宮が鎮座しています。

古くから中井町大草 おおぐさ 地区の人々を中心に 巨瀬中井・川面地域の人々が秋葉講をつ くって、十二月十六日(旧=十一月十六日) の三尺坊 さんじゃくぼう (山伏)の命日に山岳修験による火 伏・鎮火の神として祭りを行い、多くの民 衆の信仰を集めていました。 秋葉講は、遠江国(静岡県)の秋葉山にあ った秋葉三尺坊権現と秋葉寺に代参者が参 拝することを目的とした講で、貞享 じょうきょう 二年 (一六八五)頃から信仰が盛んになり、この 地方にも分社勧請 かんじょう されたのが秋葉信仰の始 まりだと言われています。

また、「秋葉山」 の頂上近くには秋 ・ 葉・ 峠と う げ があって、川面市場 から宮地峠 だわ を通り中井西方へ出る新見往 来が通っていて、上り下りの最も険しい交 通の難所として知られていました。 御前町(丁)の東にある「秋葉山」は、以 前、城下を見下す要所にあって防備を固め るにはもってこいの場所でありました。十 七世紀から十八世紀にかけて城下町が発達 し、家中屋敷など住宅が密集し、火災も多 くなると、防火の意味が強調され、山ろく に秋葉宮を祭り信仰の山としていたところ から「秋葉山」地名として残っているので あります。

このように「秋葉」という地名は、「ア キバ」「アキハバラ」などと、古来びとが 霊異に出会った場所に残された信 ・ 仰・ 地・ 名・ な のであります。 (広報高梁