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高瀬通


高瀬通
【たかせどおり】

新田の中に作られた運河です。作られたのは万治年間といいますから1650年代の頃ですね。松山藩、現在の高梁市ですがそのあたりからいろんな物資を積んで玉島港まで高瀬舟と呼ばれたちいさな舟で、高梁川を 下って船穂の東端あたりからこの運河に入り、港まで運んだのです。」 「いろんな物資というと・・」 「鉄(タタラ)とか米・薪・綿などですね」 「戻るときはどのようにしたのですか」 「舟にロープをつけて引っ張って帰ったのです。2、3人が岸から、舟には 舵取りの船頭が乗っていました。」 「夏なんか大変だったでしょうね」 「そうですね。ですから岸には櫨(はぜ)の木が並木のように植えられていて、 その木陰に入って一休みしながら帰っていったと伝えられています。」 「櫨の木ってどんな木なんですか」 「現在は当時の名残の木がたった2本残っています。右の写真がその内の1本です。 ここは新倉敷駅の西側踏切から約1Kmほど南へ下がったところですが、 その横を流れる小川が元の高瀬通なんですよ。また、櫨の木から穫れる実が 蝋(ろう)の原料となったのです。」 「昔の人はよく考えていたのですね」 http://ww3.tiki.ne.jp/~youme/rekisi/rsanpo1/dai2wa/ (たましまん)