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金剛力熊ケ嶽の墓


金剛力熊ケ嶽の墓
【こんごうりきくまがたけのはか】

〔TombofKongorikiKumagatake〕 所在地高梁市落合町阿部井谷 市内落合町阿部の高梁病院側道の道脇(廃寺跡地) に、延命地蔵石仏と並んで、高さ1.2m、幅35cmの墓 碑で正面に金剛力熊ヶ嶽勇哲居士と刻んだものがあ る。側面左に八田部山(やたハやま)門弟、熊ヶ嶽喜曽右衛門(きそうえもん)、側 面右に文政七甲申歳閏八月三日卒、年三十五とある。 地元の伝承によれば、小瀬(おせ)(落合町阿部)の出身 で、大阪相撲の関取、指呼名(しニな)は熊ヶ嶽であったと言 う。東京相撲博物館の文献によれば、文政( きんせい)元年(1818) 番付表で、西前頭13枚目にその名が記述されており、 文政6年まで江戸大相撲においても、活躍していた。 (観光100選)