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旗行列


旗行列
【はたぎょうれつ】

旗行列は1830年(文政13年)から、大政奉還のあった1867年 (慶応3年)まで藩の平穏と五穀豊穣を祈願して端午の節句(旧暦の5月5日) に行われていたもので、「旗押寄合衆」が太鼓を叩きながら藩内をのぼりを持ち練り歩きました。 (ハレハ)
旗行列(御旗行列、旗押し)

1,起源旗行列の歴史

八重籬神社(祭神は板倉氏始祖勝重公、二代勝宗公である。)境内から御根小屋総門の間で行われた旗行列(旗押し)は、八重籬神社が現在地(高梁市内山下)に移転改築された文政13年(1830)備中松山藩主板倉勝職公の時代に開始されたものと思われる。

八重籬神社は寛政5年(1793)備中松山藩主板倉勝政公の時代に城内(馬場)に創建され、時を前後にして寛政4年9月14日(1792)には大目付から旗・指物・馬印の雛形が示され、寛政5年4月23日(1793)には備中松山藩から旗・馬印の雛形が幕府大目付へ差し出されている。

寛政5年(1793)に制定された旗・馬印等は旗行列の開始前では城内八重籬神社内外へ端午の節句5月5日に掲揚されていたものと思われる。

(33年経過した)

文政13年(1830−後、天保元年となる)八重籬神社の移転改築(内山下現在地)の後旗行列(旗押し)が開催された。

しかし、慶応4年(1868)1月8日式例の練兵始の行事の最中、備後福山藩から長州騎兵隊等の動向に関する緊急連絡があり、直ちに行事を中止し,その後非常態勢に入った。

従って、慶応3年(1867)まで38回行われた旗行列も中止となったものと思われる。

170年の歴史が刻まれている。

2,順路・距離

八重籬神社鏡内から御根小屋総門までの往復を練り歩く。

その距離は、6丁(660メートル)である。

3,期日

5月5日端午の節句

4,見分

御殿坂下の所定の場所(うすべりに着座)において、家老・年寄役・

番頭・物頭などの諸重役が見分する。

重役の家族,その他がもらい見物をする。

≫≫≫祭のような華やいだ空気である。≪≪≪
高梁市文化協会会長石井保 (高梁観光協会ホームページより)