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笠神の文字岩


笠神の文字岩

一九九二(平成四)年三月、備中町西湯野(びつちゆうちようにしゆの)の県道沿いに、
文字岩のレプリカを設置した「笠神文字岩展望公園(かさがみもじいわてんぼうこうえん)」が
完成した。わが国の舟路(せんろ)の開発記念碑(きねんひ)としては最古のものと言われる、
鎌倉(かまくら)時代の「徳治二年(一三〇七)」の銘(めい)の入った笠神の文字岩は、
田原(たばら)〜笠神〜小谷(おだに)の約八キロメートルと推定される区間の開発の
願文(がんもん)を巨岩に刻んだもので、国の史跡に指定されている。同区間の開発の
目的は、備中や備後の北部で産出する鉄の輸送にあったものと考えられている。

現在、文字岩は新成羽川ダム直下の田原ダム湖の水面下となり、見ることはできなくなった。
文字岩の銘文(めいぶん)を要約すると、次のようになる。笠神に船路(せんろ)をつくったこと
徳治二年七月二十日に始めて、八月一日に工事が完成した。笠神龍頭(りゆうず)あたりの
瀬十余か所は、日本でも並ぶものがない難所なので、仏の加護を祈(いの)らないわけには行かない。

よって、ほうぼう寄付を集めてまわり、十余か月、ついに瀬をならし工事を完成させた。

募金の責任者 成羽善養寺(ぜんようじ)の僧尊海(そんかい)
工事の責任者 奈良西大寺(さいだいじ)の僧実専(じつそん)
工事を計画した者 四郎兵衛(しろうべえ)
現場の技術責任者 伊行経(いのゆきつね)