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ベンガラ


ベンガラ

吹屋は銅山と共にベンガラの特産地として、江戸末期から全国に知られている。吹屋は一七〇七(宝永四)年全国ではじめて、ベンガラを生産し、江戸末期、明治、大正と繁栄を続けた。当時ベンガラエ場は四カ所あった。ベンガラの主成分は磁っ仙鑑鋳の中の鉄分であり、比較的安価で安定性の高い赤色顔料(粉末)である。ベンガラは難、麟隷、建築、磁、叢などに用いられ"繕.牲擁の絵付けや、輪島の漆器に使われていたのは、よく知られている。ベンガラの語源はインドのベンガル地方に産した赤色染料を輸入していた頃「ベンガラ.ニッチ」といい、略してベンガラと呼ぶようになったとされている。

ベンガラは、人類が最も早くから使った色素の一つである。わが国においても、縄文および弥生土器にベンガラが使われた跡がある。また、擬穴式古墳の石室の壁面や、仏像仏画、造形美術の赤色顔料にも使われている。江戸時代の初期、朱印船でいろいろいな色素が輸入されたが、その中にベンガラも含まれていた。江戸後期になると大阪で鉄くずからとる「ダライコベンガラ」の製造が始められ、一時盛んに製造販売されていたが、寛政年間にいたり、吹屋ベンガラが本格的に製造されるようになると、大阪市場にも出まわるようになり、吹屋ベンガラは品質が優れていたので、全国へ広まっていった。吹屋ベンガラ作りが盛んになったわけはいくつかあるが、その一つは、ベンガラの原料として優れた「ローハ」が得られたことであり、今一つは、燃料の松材が付近の山で多量に自生していたことである。

<出典:高梁歴史読本高梁青年会議所発行>

索引【べ】分類[吹屋]登録日-2003/10/2219:02