明治以後の高瀬舟 → 高瀬舟は明治・大正時代にも雄姿(めうし)がみられた。 明治になってからは継舟制も廃止(はいし)され、上流の舟が瀬戸内海を越(こ)えることも 可能となった。積み荷であるまきや木炭の需要(じゆよトつ)の増加にもともなって、 隻数も増加した。しかし、トラック輸送の開始や、一九二八(昭和三)年の伯備線開通により、 高瀬舟は輸送の主役から次第に離(はな)れていった。江戸時代から続く旅客の輸送も やがて行われなくなった。高瀬舟に乗って、讃岐(さぬき)へ金毘羅参(こんぴらまい)りをし ていたのも、昔のこととなった。 <出典:高梁歴史読本 社団法人高梁青年会議所発行>