日忍殉難の碑 所在地高梁市原田南町 江戸幕府御禁宗のひとつ、日蓮宗不受不施派の僧である信受院日忍は・備前岡山藩の責章2年(1685)宗門弾圧のため備中に流され、城下道源寺に預けられた。その後、布教中のところを、元禄11年(1698)秋に捕らえられ、入牢を命じられた。禾隼のため腰から下が腐って死亡、当時の信者がおおいに悲しみ、城下の轟橋附近に葬ったという。のちに、碑を建立し供養したが、「下半身の病」には願をかければ治るとの伝えがある。 出典:高梁観光百選 索引【に】分類[墓・碑]登録日-2003/09/3018:27