松山不動明王 〔MatsuyamaFudomyo-o〕 所在地高梁市上谷町 寛政3年(1791)、備中松山藩主の参勤交代に随行して、江戸詰となった藩士・貝原常八は、江戸目黒の不動明王を信仰した。彼は帰藩後、松山上谷の谷間に本堂を建立し、寛政5年(1793)5月吉日に不動明王をこの地に勧請した。翌年、自然石へ不動像を刻んで祀り、小滝を利用した身清の場を設けたので参詣者が増えた。やがて信者間に腰痛に効きめがあるとの風評が立ち、多くの人達が参詣するようになった。