轟橋 〔GaragaraBashiBridge〕 所在地高梁市段町 現在の高梁川は市街地の西側を流れているが、今から500年ほど前までは反対の東の山すそを流れていた。したがって現市街地のある場所の大半は近似側であった。 その張り出した近似側から大川へ長い橋が架けられて、橋の名を四十八橋と呼んだと伝えられている。四十八橋というのは一本の橋ではなく、岩から岩へ架けられた多くの橋で対岸へ届く橋という意味であろう。 こんな橋は大水が出るとすぐ流れる。人々は橋げたの岩に工夫をこらし橋をだんだん高くし、いつしか人の目につく高い橋になったと思われる。 さて、高梁の地名は古くは高橋、明治2年(1869)に橋の字を梁に変えて高梁とした。轟橋は今では場所が変わり、1本の短い橋となって下谷川の出口に架かり、その上を国道180号線が走っている。