高瀬舟の構造 → 高瀬舟の構造高瀬舟は、水深の浅い河川の通行に適した、企長約十六メートル、 幅(はば)約ニメートル、帆柱(ほばしら)の高さ約八メートルの平底の木造舟で、帆柱 の横木にはった帆は、綿布(めんぷ)で約三〇平方メートルであった。下りは、サキノリ、 ナカノリ、アトノリ、の三人の船頭(せんどう)が、上りは、サオサシ(親方)一人とツナヒキ 三人の、計四人の船頭が必要であった。 船頭の間で歌われていた高瀬舟歌(下りの歌) ヤーレ五万石でもヨ松山様はヨー ヤレー城のふもとにヨー舟が着くヨー ヤーレ春の日長にゃヨー高瀬で下りゃヨー ヤレー谷のうぐいすヨーつれて鳴くヨー ヤーレ鳴いてくれるなヨー谷のうくいすはヨー ヤレー鳴けばこぐ手のヨi力が抜けるヨー 『総社市史』民俗編高梁市下町の観光駐車場(ちゆうしやじよう)には復元された高瀬舟が、 向(むこう)町の郷土資料館には、縮小して復元されたそれと、その諸道具が展示されている。