玄賓僧都像・土仏 〔CIayStatueofthePriestGempin〕所有者高梁市落合町近似松林寺 玄賓僧都像 `市指宇重亜女イk財昭和32年6月6日指牢) 土仏 (市指定重要文化財昭和46年1!月19目指定) 第50代桓武天皇の病気平癒を祈願して有名になった玄賓は、もと大和(奈良県)興福寺の僧で、その学識は南都(奈良の都)第一と称されたが、名誉や利益を求めず、都を嫌って寺を離れ、三輪山の麓に隠れ住んで、ひたすら仏の道を求めた。その後も桓武・平城・嵯峨の3天皇から、度々のお召しがあったが、固く辞退して居所を変え、諸国を流れ歩いて都へ帰らなかった。 玄賓晩年の弘仁年間(810〜824)、その足跡が備中に現れるようになる。80歳を遥かに過ぎたその頃、近似の玄賓谷に一小庵を建て、そこに住んだと伝えられている。 松林寺に杷る玄賓僧都の彫像は、檜材の座像で高さ75cm、全面布貼で胡粉を施し彩色してある。目は玉眼をはめ、唇は暗赤色。 玄賓土仏は、寺の周辺から出土した大小さまざまの十三仏で、後世僧都の遺徳を偲び、草庵に十三仏を杷って供養したものと伝えられる。