玄賓僧都 落合町の玄賓谷というのは、玄賓僧都の名前からつけられたものであるが、玄賓僧都はこの谷の松林寺に住んで居たと伝えられている。僧都は河内の人、弓削氏、法相宗大和興福寺の僧、桓武、平城、嵯峨天皇のご信頼を受けた人で備中新見市草間土橋の湯川寺で往生を遂げたが、湯川寺の東の庚申山で、鮭を猟師が食べているのを見て可愛そうに思い、「雄が鳴くから猟師にとられるのだしどいって雅の声を封じられたため、庚申山と近似の玄賓谷には、鳴き声を封じられた雑が住んでいると伝えられている。 僧都が玄賓谷に在住したのは数年間と言われているが、その当時、そのあたりの農作物が猪や鹿によって荒されたため、鹿オドシのソウズ(添水)を考案した。それでこのオドシをソウズというようになったといわれている。 索引【げ】 分類[伝説]