祇園山 【ぎおんやま】 {{category 地名の由来}} 「祇園山」は、巨瀬町の北、中井町津々の南 に位置し、海抜五五〇メートルの山で、その頂 上南側の緩 かん 傾斜の場所に真言宗善通寺派、補陀 ほだ 落山 らくざん 感神 かんじん 院い ん (祇園寺)と牛頭 ごず天王 てんのう 社(祇園宮)があ ります。弘法大師が、この「祇園山」に紫色の 雲が掛かっているのを見て「仏が雲に乗って 来迎 らいごう するという縁起のよい雲だ」といわれ、 「補陀 ほだ 落山 らくざん 」(観音の住む山)として弘仁三年(八 一二)祇園寺の本堂(観音堂)をこの地に建て開山 したといわれています。現在の本堂は、延宝六 年(一六七八)二月に松山藩主水谷勝宗により再 建されたものと伝えられ、本尊は寄木造の千手 観音で脇侍の毘沙門天や不動明王とともに市の 重要文化財になっています。 また、水谷勝隆が正保二年(一六四五)に再建 したといわれる鎮守社の牛頭天王社(祇園宮)の 境内には、弘法大師お手植えと伝えられる樹齢 千百余年の天狗大杉がお山のシンボルとして歴 史を語ってくれています。 「祇園山」は、古くから雨乞いの山でもあり ました。「近隣の村人が牛頭天王宮で祈願して 祇園山の頂上に登り火をたいて雨乞い神事を盛 んにやっていた」(宇喜多惠住職 76 歳の話)の であります。八月末の夏の祭礼には、古式豊か な祇園踊りが行われ、中でも「扇子踊り」は手 真似・動作に雨乞い踊りの要素を感じさせる興 味深いものであります。 「祇園山」は御霊 みたま ・祇園信仰の霊山として、 疫除 やくよ けや農業神として多くの人々の信仰を集め 各地からの参拝者が後をたたなかったといわ れ、参道も東西南北八つの道がありました。中 でも巨瀬町の河原地からの参道は、八丁坂の表 本参道として祇園踊りに「上り下りの八丁坂は 善男善女の足つきぬ」と歌われています。 「祇園山」の「祇園」という地名は、牛神と して牛頭天王を祭り、感神院(観慶寺=祇園寺) を建て祭神をインドの祇園精舎(寺院のこと)の 守護神とした京都八坂神社(祇園社)に始まる、 きわめて仏教色が濃い形の神仏習合形態の寺 社、即ち「感神院が在り牛頭天王を祭った山」 という意味に由来する宗教地名なのでありま す。