!!!笠神の文字岩(国指定史跡) 鎌倉時代の徳治2年(1307)、日本でも無類の難所であった成羽川上流の笠神龍頭の瀬を、仏の加護によって船路開削したという難工事の経緯を刻んだ記念碑で、わが国の水運開発史上最古のもので極めて貴重な史跡です。かつて、備中・備後北部で生産された鉄は、八鳥〔現在の新見市哲西町〕に集められ、険しい山道を2日がかりで成羽へ運ぴ、そこから船で川を下っていました。陸路は距離が長く、急峻な山道でたえず危険にさらされでいましたが、笠神の瀬の船路開削工事により船が通るようになり、運送時間と労力が大幅に短縮されました。 エ事の中心となったのは、成羽善養寺の僧尊描。工事の頭領で文字岩を刻んだのは、奈良の東大寺の再建にあたって宋から招かれた伊一族の石大工伊行経。行経は、有漢町の保月山六面石憧なとの作者とも考えられています。文字岩は、昭和如年の新成羽川ダム完成に伴い湖中に沈み、今ではその姿を現すことはありませんが、県道沿いの笠神文字岩展望公園に原寸大の模造石を残しています。 所在地 高梁市備中町平川地内 お問い合わせ 教育委員会備中分室45−4514 <情報もと:広報高梁平成18年2月号>