愛宕山 {{category 地名の由来}} 高梁の町は、半月状になった高梁川の氾濫原にあり多くの山々に囲まれた盆地にある町であります。特に、町の東側中央の「愛宕山あたごやま」は、町に住む人々にとって印象的な山なのです。海抜四二七メートル余りで形も頂上が狭くて三角状にとがり急な斜面を持った山で、最も形の良い「目立つ山」なのであります。山の信仰は、山容..から生まれることが多く「愛宕山」には特別な神霊が宿っていると考えて崇あがめ「水分みくまりの神が居て恵みの水を与えてくれ、春には里に降りて田の神となり、豊作をもたらしてくれる」山でした。 それが、地域の人々の日常的な信仰となり「愛宕山」が、町の鎮守..として大切にされてきたのです。「愛宕山」には、八大龍王が住んでいて雨を降らせ苗を育成してくれる山(龍王山)として、愛宕山に登りおこもりをし、山上で火を焚いて(千貫焚せんがんだき)「雨をたんもれジューオー(龍王)サン」と唱えながら雨乞いをしていました。今でも頂上の大きな岩の上には竜王宮が祭られていて「龍王山」とも呼ばれています。山上には、竜王山長運寺(天台宗)があります。創立は慶安四年(一六五一)といわれ、京都の愛宕神社を勧請し、神仏混淆こんこうの権現様として天台宗の修験の山になっていました。防火の神、火伏せの神として火防神社(愛宕神社)が境内に祭られ延宝五年(一六七七)寄進された石燈籠、文化一一年申戌年きのえいぬ(一八一四)の銘が残る大きな石鳥居などが、信仰のさかんだった頃の名残をとどめています。 長運寺の境内には、天和てんな三年(一六八三)銘の石仏が立ち、その横には市内で一番大きいと思われる地蔵石仏があります。江戸時代から「愛宕山」の祭りは大変にぎやかだったようで多くの人がお参りしました。町からは、松連寺の横を通り楢林をならばやし登る正面からの愛宕道、そして、楢井ならい坂を登るコース、上谷からは今の国道四八四号ループ橋近くの不動明王の横を登る愛宕道がありました。また、藩主の信仰も厚かったようで「愛宕山別當べっとう、御領主代々御建立之所」(「備中誌」)とある、「上房郡誌」には「幽邃閑雅ゆうすいかんが、四時(四季)の風光愛すべし」と「愛宕山」をたたえています。 また、高梁八景の一つとして「愛宕秋月」と題して詩が詠まれています。小堀遠州の初期の作といわれる頼久寺の庭は安土桃山時代から江戸初期にかけての書院式枯山水の庭園(禅院式蓬莱庭園)は有名ですが、遠州はこの庭に形のいい「愛宕山」を借景として取り入れているのです。「愛宕山」という地名はいずれも山の上に社を祭っているのが多く「阿多古あ た ご」という神名にもとづくもので、愛宕神社による伝播地名の一つなのです