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大石内蔵助の座った石の変更点

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大石内蔵助の座った石
【おおいしくらのすけのすわったいし】


今の高梁の基礎をつくった水谷氏ですが、3代勝美が31歳の若さで急死、継子も13歳でなくなったため水谷家は断絶、所領没収となってしまいました。 このため、備中松山城の城受け取りの役を徳川幕府より命じられたのが赤穂藩、浅野家で、このとき赤穂の先鋒として備中松山藩に乗り込んだのが大石内蔵助でした。記録によると赤穂藩は”大変な数”で松山城下に乗り込んだといいます。 臥牛山にのこる大石の腰掛け石は城受け後、毎日のように松山城にのぼっていたと言う内蔵助が、ここでよく休んでいたという伝えを今に残しています。