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山崎治正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山崎 治正(やまざき はるまさ、文政4年10月1日(1821年10月26日) − 明治9年(1876年)3月6日)は、備中国成羽藩の初代藩主。父は平野長興(治正は次男)。母は山崎義徳の娘。正室は上杉斉定の娘。細川行芬の娘。

1821年10月1日生まれ。幼名は寿丸。初名は山崎義厚。山崎氏ははじめ5000石の交代寄合であり、治正は1835年、その家督を継いだ。1868年、領内の開拓などで所領が1万2000石に増加したと新政府に申し立てたことを認められたため、ここに成羽藩を立藩する。1869年正月晦日、家督を長男の山崎治祇に譲って隠居し、1876年3月6日に56歳で死去した。墓所:川上郡成羽町の桂巌寺。法号:芳春院殿光岳瑞馨大居士。 

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