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弘法大師の変更点

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弘法大師 


市内には弘法大師に関する伝説がかなり曲豆富に存在する。先づ誰にも広く知られているものとしては巨瀬町砥園寺の「天狗杉」がある。これは弘仁三年大師が諸国を巡っている時、この山を開いてここに手植えをした杉であると伝えられている。大師自作の仏像と伝えられるものが巨瀬町砥園寺や千柱寺、松山の松連寺にあり、松連寺の隣りの薬師院には大師作と伝えられる仏画がある。また同じ松山の知導寺には大師が泥土をもって作ったという伝説の土仏があり、大師作と伝えられる自然石線彫地蔵尊もある。

弘法大師の伝説が集中しているのはやはり砥園寺とその周辺で、巨瀬町柳の接待橋の所には「大師杖の跡」という石があり、砥園山の麓には大師が砥園山へ登る時つけていた袴を脱いで掛けたという「袴掛」という地名があるし、そこから砥園山までは「八足谷」といって大師が石の上に八箇の足跡を残したといわれそれが地名となって残って居り、その八箇の内の二箇は現在安元で祭られている。砥園の寺域内に居るマムシとヒルは人を決っして害さないと言われているが、これは大師が一度害を受けてから信徒のために害を封じたのだという。

このような大師の足跡石とか害を封じたという伝説は、市内にはあちらこちらにあり、足跡石としては津川の今津、高倉の真弓、宇治の峠坂、松原の陣山、中井の上野、前記砥園山麓安元などにある。今津の足跡石には杖の跡もある。害を封じた伝説には宇治町遠原にかずらの伝説がある。これは大師がかずらにつまずいたのでこれを封じ遠原にはかずらがないという。弘法清水の伝説は全国的にきわめて広い分布を持つといわれているが、市内の中井町上野にもこの伝説がある、それは「、大師がわ」という清水で、大師が杖を立てて岩から水を出し、水の便をはかってやったという伝説である。

中井町上野の高い高いところに「そら」という屋号の家がある。その家よりも高いところの岩の間から水がふき出ているのが「大師がわ」である。昔々弘法大師が砥園山へ滞在の時、この方面に托鉢に来られた。大師は喉が乾いたので老婆にお茶を所望されたところ、ブての老婆はこころよく約一キロほど離れた「向うがわ」の水を汲んで来てお茶を.湘かして勧めた。大師はたいへんよろこんでこのような飲み水の苦労を救ってやろうと、附近の岩を杖でコツンとたたいたところ、そこからきれいな水がふき出て来た。それが「大師」がわ」で今でもこの水はどんな渇水の時で、水が澗れることはないという。この時の足跡だという石もここにある。

これと同様に、親4.な村人に対する勧善的な伝説として宇治町遠原の「背の低い栗」がある。大師がこの地で子供に栗を所望したところ、子どもはすぐ高い栗の木によじのぼり苦心しながら.栗の実を取って来て大師にすすめた。大師は高い木に登る子どもを可愛そうに思い、背の低い栗の木に実が成るようにされたという。これら勧善的伝説とは反対に、不親切な村人に対する徴戒的伝謝として中井町鍛治屋の一、にがい茶」の伝説がある。それは大師がこの部落へ托鉢に来た時ある家でお茶を求めたところ、大師の身なりがあまりみすぼ∴ノしかったのでこれを断ったところ、それ以来ここには茶の木が育たず、たとえ生えても苦くて飲めないという伝説である。

索引【こ】 分類[伝説]