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御根小屋跡
【おねごやあと】


御根小屋とは藩主の住居と行政用の建物をかねたもので、慶弔10年(1605年),備中国奉行・小堀遠州が頼久寺からココに移り住んだ。 天和元年(1681年)には水谷勝宗が備中松山城と御根小屋を大改築した。 現在は当時の建物は残っておらず、跡地には岡山県立高梁高校が建つ。 (管理人) 

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御根小屋跡

〔SamuraiGuardsOffice〕
県指定史跡平成3年4月2日指定
所在地高梁市内山下

慶長10年(1605)、備中国奉行・小掘遠州が御根小屋を復興し頼久寺から移り住んだが、天和元年(1681)〜同3年(1683)に水谷勝宗が備中松山城と御根小屋の大改築を完成した。御根小屋は藩主の居館と政庁を兼ねたものであったが、往時の建物は今はない。当時のものとしては、高い石垣と遠州作と言われている心字池が残っている。
明治33年(ユ900)、この地に県立高梁中学校(現高梁高校)の新校舎が建てられて現在に至る。