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金毘羅大権現の変更点

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市内各地の道端に、地神さまが祭られていた。大きな自然石に彫りの深い太字の地神という字が彫ってあった。地神さまは農業の支配老である土の主で、春秋の杜日にお祭りをし、正月には注連縄を飾るのが普通であった。この地神さまと並んで、たいていの場合常夜灯が立っていて、その樟石に、金毘羅宮、または金毘羅大権現、あるいは金という字を」字彫ってあることもあった。

金毘羅大権現というのは、讃岐の金刀比羅宮の明治以前の祭神であった。金毘羅さんは元来航海の神で、高瀬舟の往来した高梁川の川辺に立っているのは判かるが、高瀬舟とは縁遠いような山奥のいなかに立っているのはどういうわけであろうか。昔から金毘羅参りといって、伊勢参りに次いで民間の信仰が厚いものであったが、古老の話によれば、昔は各地に金毘羅講というものがあったそうである、そしていなかの方では、航海の神としての信仰は薄れて、不思議な力をもって庶民の願いをかなえてくれる神という意識が強く、農業の神だという古老もいるが、貧しかった昔の庶民には金という字をもつこの神に大きな魅力を感じていたということであった。