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玉島港の変更点

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玉島港
【たましまこう】


玉島港は松山藩主水谷勝隆・勝宗の2代によって開発され、玉島村の東浜と阿賀崎新田村の 西浜を合わせて寛文年間に出発しました。また、両村の庄屋であった大森次郎兵衛本直と 菊池重右衛門が協力して、備中各地より問屋や一般商人の移住を募りました。その結果 元禄15年(1702)には問屋43軒、その他町人約400軒ほどの市街地となり港町の 活動もきわめて活発になりました。 (たましまん)