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吉川八幡宮の変更点

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吉川八幡宮
!!!吉川八幡宮

京都の石清水八幡宮の別宮として永長元年(1096年)に』創建されたと伝わっています。「石清水八幡宮文書」によれば、備中国吉川保に御調(みつぎ)別宮・椙原別宮とがあったというが、八幡宮と称するようになった経緯は不詳であるといいます。
平安時代末期吉川が石清水八幡宮の庄園であったことから、両神社の関係は特別深かったといいます。鎌倉時代に書かれた「古事談」によれば、石清水八幡宮の楽人、元正が当社の大祭にはるばる下向し、秘楽を奉納したといいます。
本殿は国指定文化財、当番祭は県指定重要無形民族文化財となっています。

国指定重要文化財
吉川八幡宮本殿
!!!吉川八幡宮本殿
国指定重要文化財

大正14年4月24日指定

五間三間入母屋造の本殿の屋根は厚板を葺いたととち葺きで、室町時代の応永2年(1395年)に建てられたと言い伝えられています。

正面の向拝と呼ばれる部分は、江戸末期元治元年(一八六四)に一新されている.地元で代々大切にされてきたため何百年たった今日でもその勇姿を目にすることができます。

平成8年から3カ年かけて、建物の部材をひとつひとつ丁重に取り外し、建物のもつ長い歴史を尊重しながら傷んだところを直して再び組み立てる全解体修理が行われ、建立当時の姿に近いかたちでよみがえりました。
修理中一建築部材に、木材にのみをうちくさびで引き裂いて製材する古代以来使われてきた「打ち割り」技法の詳細がわかる痕跡がはじめて発見されました。本殿を建てるとさには、縦挽きののこが一切使われていません。
この本殿には、中世の建築の特徴が色濃く残されています。

吉川八幡宮 当番祭(とうばんまつり)
!!!吉川八幡宮 当番祭(とうばんまつり)
岡山県指定重要無形民族文化財(昭和30年3月18日指定)

当番祭は古代から伝承された庶民の民衆的な祭りであり、日本的感傷やユーモアが祭りの全体を通して伺い知ることが出来る極めて文化的価値の高い祭りです。

10月1日の当指しから始まり10月26日の大祭、翌日の波区芸揚げ(はくげあげ)と一ヶ月にわたる長期の祭りです。(平成2年から大祭日を10月の第4日曜日とした。)当番祭とは「訪問する最初の祭り」という意味で、2社以上の八幡宮の氏子が互いに訪問し合い、氏子の繁栄と豊稔を神に祈り、同族の親睦と絆を深める祭りです。

当指しによって10才前後の男児二名を当番(当人)とし、垢離取り(心を守る)という神事によって神人となり主役を務めます。

当番の家では庭に「波区芸」を建てて神の降臨を仰ぐ施設を作る。祭りの中心的シンボルです。

宵祭りの前日には、境内のかりやうつの地に、当番一行が落ち着く仮の施設(仮屋)を設けます。

大祭日、当番一行は乗馬姿の当番様を守りつつ八幡宮へ参詣し、仮屋で参拝者から祝福を受けます。やがて神事、式典が行われ、午後は400メートル離れた旅処までの御神幸があり、最期は当番、供人の走り比べがあって、祭りのクライマックスとなります。
翌日、波区芸揚げの行事で当番は神界から俗界に戻り大祭の全てを終了します。